ロボット プログラミング 科学教育 岡山市

21世紀に生きる子供たちに伝えておくべきことは

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。

今上陛下のご退位に思う 世界に誇れる日本人像

 先の戦争で、戦争責任を議論された父、昭和天皇。それを「支え」た幕僚は、戦後の発言で「てんちゃん」などと呼び、天皇家を軍が利用した事実を白日の下にさらした。その
贖罪を背負い、新憲法で一方的に規定された「象徴天皇」の具体化に献身された今上陛下の記者会見を拝聴した。
 戦後の民主主義が軽んじた「日本人の心」に立ち、被災民や在留日系人などに寄り添った姿勢を思う。愚かな敗戦で、国の盾となり県民全てが犠牲となった沖縄や玉砕した戦地をめぐる姿は、修行僧のごとくであった。高度成長の時も、バブルの時も、失われた20年の時も、変わらぬ姿勢に「日本人の心」を感じる。
 民間からその難業に加われた皇后陛下の覚悟もいかばかりかと推し量られる。ここにも「日本人の心」がある。ご実家は、すべての名誉・叙勲を返上されたとか。陛下の皇后さまへの感謝の言葉にはそれを実感できる迫力があった。
 形骸化し、空洞化する戦後民主主義制度とは逆に、日本国憲法に抽象概念として規定されただけの「象徴天皇」を、国民誰もが実感するレベルに具体化された半生に畏敬の念を禁じ得ない。時の政権が、憲法を盾に、陛下を道具のごとく扱うことは、断じて許されるものではない。

負の再生産を食い止めたい 新しい教育の機会を広げよう

日本では、いまごろになって経産省と文科省とが競ってIT教育の重要性を発表している。
経産省は「なぜ学ぶか、どう生きるかを無視した-まず勉強」の現状を指摘。「浅く広く基礎を学び、応用実践は後回し」のカリキュラムや「学びの生産性の無さ」を批判。
しかし、G7 先進国で抜きんでて労働生産性が低いドンビリ日本の現状を抱えて、「よくその口が言うよ」と思う人も多いそうだ。まったくだ。


実際、プログラミングの初等教育に関する実証検証で、最も実務に反映されているのが総務省の委託事業だ。三菱総研と東京大学の監修だったように記憶している。当塾も参考にした。さすが、旧内務省だ。格が違うのだろうか?


一方、AIの先進国米国、その発祥の地シリコンバレーの「デザイン・テック・スクール」のレポートを見て隔世の感を禁じ得ない。先端企業も取り入れる「デザイン思考」を全生徒が学ぶハイスクールだ。プロジェクト型学習、アクティブラーニングの手法だ。フェースブック本社などでみられる、新しい組織論につながる教育文化だ。失敗や挫折を恐れず、課題を見出し、プロジェクトを組織し、社会の問題解決に挑む。21世紀型の教育だ。


しかし、ここにも問題が潜む。企業が支援するこの学校の授業料は無料だ。にもかかわらず、生徒が高所得者・白人・アジア系に偏る。文理統合の理数素養が高所得を保証するこの時代に、その情報を共有できない低所得の層は、参加の機会すら失われている。貧困が新たな格差を再生産しているとのことだ。欧米でも、歴史のあるパブリックスクールはいまだに「歴史や宗教や哲学」の構成比が高いとのこと。必要ではあるが、20世紀とは格段に変容しなくてはならない。


同様のことは、中国やインドでも顕著だ。2周半ほど遅れた日本でも遠からず問題となる。省庁間で作文して、アリバイ実績を吹聴している場合ではない。しかし、我が国の議会はもっとひどい。溜息しか出ないのが実感だ。既に周回軌道から離脱しているかも?