ロボット プログラミング 科学教育 岡山市

21世紀に生きる子供たちに伝えておくべきことは

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。

高大接続改革は破綻した 文科省の自滅

高等学校が旧態依然としていて、その閉塞感が指摘され続けた。小・中学校での英会話や能動的な教育改革が実を結びつつあり、アクティブラーニングが浸透していても、高等学校で旧態依然としたガラパゴスに戻る。その理由は、「大学入試があるからだ」それが言い分だった。


しかし、その大学入試改革の2本柱が折れた。これでは、国際バカロレアやAO・推薦入試の構成比を2021年までに30%と定めた国大協自身のアクションプランとも整合性がつかなくなる。岡山や筑波大学のように国際バカロレアを採用した大学は孤立する。現行の入試制度と極端な乖離があるからだ。そのため、現行の入試制度を近づけて、AO・推薦入試の資格審査をより精度アップするために到達度検査としての入試制度改革を目指したわけだ。


バカロレアの母国フランスでは、全課題が論述であり、その採点は高校の教員が担当する。採点者に委ねられるところが多い。日本の一部国立大学のように二段階採点やすり合わせは行われない。それを日本の教育行政の関係者が問うと、「本旨が大切で、子細なことだ」と一蹴される。それでも食い下がると、「家庭教師のいる子供や高学歴の親の子供にハンディを科せば良いのか?」と逆に問い詰められるとか。


今の日本の入試制度は変わらない。50万受験生を完璧に記述採点したり、4技能検査を実施することはできない。ただ、現状でも完全ではない。数理処理の世界だ。
1.採点ミスの完全な解消
2.自己採点と実際の採点の不一致の改善
3.質の高い採点体制の明示
決定後7年を経てこの結論だ。従って、高等学校はガラパゴスのままだ。


私は自他ともに認める保守である。しかし、イノベーションの消えた低成長の日本を国家として受け入れられない。AIが「東大ロボ」で、入試を制覇する時代が来る。その時、人はどのように生きるべきか?マークセンスと真逆の価値に生きるのが人間となる。マークセンス人間は機械以下となるからだ。


現行の試験制度でも、1次で足切り、2次の国公立は論文試験が大半を占めるとの言い分もあるが、内容の伴う試験は一部の国立に限られている。私立に至っては慶応など数校だ。これでは、高等学校普通科の改革には遠く及ばない。ましてや、国際バカロレアとは相いれないままだ。国内基準と国際基準が完全分離したガラパゴスだ。だから、早稲田は奮起したのだ。その姿勢を高く評価したい。


なぜ全国高等学校長協会は、英語試験に会場を供与したり、筆記試験の採点に協力したりしないのか?民間業者が気に入らないなら、主導権を奪えば済むことだ。このまま現状を肯定しては、平準化と透明性に命を捧げる「重箱の隅=ガラパゴス」議論は終わりそうもない。AIに使われる側の人間を量産し続けるつもりなのだろうか?


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