官僚が本当の「学び」を試されるとき データ規制
東京大学を中心に国家公務員上級職は、試験の成績が良い英才の結集軸とされてきた。しかし、国家を背負う英才の成績は、この30年振るわない。
典型が、日の丸液晶だ。経済産業省の再生計画はことごとく破綻し、投資の方向とタイミングを逸脱した。先行していた有機ELにも乗り遅れ、価格競争で頓挫し、リストラに次ぐリストラを繰り返した。結果、中・台資本に売却となる。
また、総務省管轄のNTT。1980年代世界の企業ランキングトップに君臨した企業だ。しかし、今やデータエコノミーの国際技術戦略から取り残され、5Gでも後塵を拝する。
GAFAなどのデータ独占に規制をかける法制度の企画立案と言った大きな課題が出現した。EUが先行しているが、これは自動運転や5GやIOTの育成とも表裏であり、広範な政策展望が必要となる。宇宙を含めたデータの世界技術戦略とも繋がる。国運がかかっているのだ。
そこで問題なのが、液晶ディスプレーすら及ばない経済産業省や5Gに取り残されそうな総務省や科学技術の知見の低い公正取引委員会などが縄張り争いを始めたことだ。世も末だとは、このようなことを指す。見かねて内閣官房が仲裁に入るとか。
日本の教育システムの頂点に君臨する官僚群の成績次第では、システム全体をゼロベースで見直す必要があるだろう。学びとは「志」とともにあるものだからだ。
入試試験制度の公平性や客観性を錦の御旗で論ずる「専門家」に、改めて再考を促したい。各大学の、さらには科目間の不平等など、あってあたりまえなのだと。それを当然として比較するのをやめれば済む話だ。もっと大切なものが見えなくなってしまう。選挙制度で、定数の不平等で一票の価値を主張するあまり、投票率の低下が見えなくなる人も同類だ。本質がどこにあるのかが世界標準だ。