負の再生産を食い止めたい 新しい教育の機会を広げよう
日本では、いまごろになって経産省と文科省とが競ってIT教育の重要性を発表している。
経産省は「なぜ学ぶか、どう生きるかを無視した-まず勉強」の現状を指摘。「浅く広く基礎を学び、応用実践は後回し」のカリキュラムや「学びの生産性の無さ」を批判。
しかし、G7 先進国で抜きんでて労働生産性が低いドンビリ日本の現状を抱えて、「よくその口が言うよ」と思う人も多いそうだ。まったくだ。
実際、プログラミングの初等教育に関する実証検証で、最も実務に反映されているのが総務省の委託事業だ。三菱総研と東京大学の監修だったように記憶している。当塾も参考にした。さすが、旧内務省だ。格が違うのだろうか?
一方、AIの先進国米国、その発祥の地シリコンバレーの「デザイン・テック・スクール」のレポートを見て隔世の感を禁じ得ない。先端企業も取り入れる「デザイン思考」を全生徒が学ぶハイスクールだ。プロジェクト型学習、アクティブラーニングの手法だ。フェースブック本社などでみられる、新しい組織論につながる教育文化だ。失敗や挫折を恐れず、課題を見出し、プロジェクトを組織し、社会の問題解決に挑む。21世紀型の教育だ。
しかし、ここにも問題が潜む。企業が支援するこの学校の授業料は無料だ。にもかかわらず、生徒が高所得者・白人・アジア系に偏る。文理統合の理数素養が高所得を保証するこの時代に、その情報を共有できない低所得の層は、参加の機会すら失われている。貧困が新たな格差を再生産しているとのことだ。欧米でも、歴史のあるパブリックスクールはいまだに「歴史や宗教や哲学」の構成比が高いとのこと。必要ではあるが、20世紀とは格段に変容しなくてはならない。
同様のことは、中国やインドでも顕著だ。2周半ほど遅れた日本でも遠からず問題となる。省庁間で作文して、アリバイ実績を吹聴している場合ではない。しかし、我が国の議会はもっとひどい。溜息しか出ないのが実感だ。既に周回軌道から離脱しているかも?