大学生の就活ルール廃止の波紋
経団連会長から唐突ともいえる発言が出て波紋を広げている。確かに世界標準はそうだ。日本の大学生の就職は、60~70年代の高校生の集団就職とあまり変わらない。
一定時期に全体で就活をし、文系理系と分けられる。「新卒」などという概念が存在する。多様性は皆無だ。ガラパゴス日本だ。
しかし、ずっとその一元的なシステムで育てられた学生に、突然「通年採用は世界の常識」「個々にキャリアと志向に沿って就活しなさい」はないと思う。当惑するのも当然だ。初等・中等・高等教育の「多様性の無さ」と「世界の常識」との乖離は拡大する一方だ。一昔前は、企業がこの矛盾を一手に引き受けたが、今やその余裕はない。
初等期から社会への関心を持ち、主体的に考え実行していく習慣を身に着ける必要がある。多様性を受け入れる思考訓練を怠ってはならない。偏差値一元化教育は「オウム信者」や「自分に自信を持てない日本人」を大量に作り出した。人間の一部の能力だけを統一して全国的な偏差に落とし込む。そしてそれをもって価値の全てであるかのような錯覚を持たせる。
今や日本のエネルギー政策は完全に誤りを露呈した。「再利用を含めた原子力」と「化石燃料の高効率化」をメインにした産官学の国家政策は世界から見放された。化石燃料を使い続ける企業から撤退する意思を表明した投資資産の総額は700兆円に上る。すぐにでも20兆円程度の資本が売却される可能性がある。日本国内だけの一元的なシステムが破綻した際たる例だ。プルサーマルも絵に描いた餅で1兆円をどぶに捨てた。
多様な価値や人生や人種を許容し、部分最適と全体最適を思考できる21世紀能力を育む必要を日々痛切に感じる。