ロボット プログラミング 科学教育 岡山市

21世紀に生きる子供たちに伝えておくべきことは

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。

学びの多様性 ドイツに学ぶべし

「アルトハイデルベルク」子供の時に読んだ小説だ。歴史ある学都での青春ドラマであった。思春期の胸に深く印象付けられた。しかし、今やドイツは「フンボルトの理念」といわれる教養主義と決別する大学改革を突き進めている。


ドイツは2011年「インダストリー4.0」を宣言。IOTとAIを媒介としたデジタル生産革命の旗手として国家の命運を託した事業が進められている。当然ながら教育も情報サイエンスの高度化に対応できる高度人材の育成に舵を切った。


中世のマイスター制度と近代高等教育の合体だ。学位と資格取得と給与が三位一体となった二元制教育制度だ。日本に例えると、工業(商業)高校や高専と有力企業が一体運営して、カリキュラムを編成し、その上に大学院が乗っかるような形かと思う。起業家やエンジニアが、実学と先端技術に育てられる。給与も出る。中学卒業したら給与取りになる。加えて学位までとれる。


基礎研究は、また別の在り方が必要となる。しかし、陳腐化した大学教育と時代対応できない高等学校の両方を再生する秘策ではある。単位も国際標準に準拠させて、留学の基礎を作り、海外の大学院に進めれば理想的なシステムとなる。文部科学省と経済産業省から分離させて、内閣府で別次元の教育制度を創出すればイノベーションも可能となる。既存の器では無理だと皆分かっているのだから。

陸軍的な日本駅伝の情景 世界で評価されない

女子駅伝で、骨折しているにもかかわらず這いつくばってタスキを繋いだ情景を見て感動したなどとのテレビ報道を聞くと、日本帝国陸軍を想起する。
確かに、駅伝競技は日本で生まれ、日本的ではあるが、帝国陸軍的では困る。スポーツは研ぎ澄まされた技能の勝負であり、勝者にも敗者にも輝いて欲しい。
主宰者は、「見世物」として運営するのではなく、競技の管理者として矜持を持ってほしいものだ。興行主では困る。監督の再三に及ぶ棄権通達を棚上げし、見せ場を作った管理の在り方は見苦しい。アマチュアスポーツは一日も早く近代化して欲しいものだ。