「教わる」のではなく「学ぶ」べき 強くなるためには
新春を彩る一つに「箱根駅伝」がある。中央大・日体大に続く総合5連覇をかけて青山学院大学が挑む。原監督は、企業出身のビジネスマンである。古い体育会の中に、組織管理とコーチングをビジネス界から持ち込んだ。
エリートは選別し、全く別扱いする。選ばれた者たちには課題設定からアプローチまで自分で考えさせる。タイムを一定期間内に出せない学生は、選手を引退して裏方に回る。ソフトな話しぶりと違って、徹底した成果とその自己管理を学生に求めている。いまどきの企業人だ。駅伝は日本固有のスポーツで、組織と連携の結晶ともいえる。一方、高校野球の監督には、檄を飛ばし叱咤し、補欠も含めて大会優勝を目指す熱血監督が多い。落伍者は出さない代わりに厳しく指導する。特訓の古典派である。
21世紀。「教える・教わる」「監督する」「上司」「指示」は死語となる。「学ぶ」「考える」「協業する」「解決する」がデザイン思考と言われる新たなキーワードだ。確かに、そうあるべきだが、選ばれし者のみの価値となる怖さもある。皆を連れて大会優勝と成ると困難を伴う。これが教育の難しさだと思う。
幼くして引退させるわけにはいかない。どこに可能性があるかわからないからだ。最後に命を終えるまで、チャンスはあるはずだ。これは、世紀を超えた教育の課題だと思うし、個々の生涯続く課題でもある。