ロボット プログラミング 科学教育 岡山市

21世紀に生きる子供たちに伝えておくべきことは

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。

最先端の企業の経営者に励まされる

工作機械のロボット化で世界をリードするファナックのCEOと深層学習AIのプリファードネットワークスの代表。日本を代表する最先端テクノロジーの経営者達だ。両社は組んだ。


GAFAや中国企業に席巻されたデータエコノミーで日本の影は薄い。伝統的にソフトウエア―に弱い国民性もある。しかしだ、IOTとAIの融合によって、自ら観察し学習し考える工場を創出できるというのだ。従来ある人間の作った工場より、高度な生産ラインをディバイスと深層学習で創り出せると両社は提携した。


ビックデータもGAFAや中国企業に独占され、日本企業の劣勢は否めない。このままいくと金融やサービスは支配される。しかし、AIと生産ラインをIOTで構成した生産技術で勝負したら、これまでのモノづくりのノウハウが生かされ、特殊なデバイス情報の蓄積で差別化ができると両社のCEOは確信する。ただ、この分野では、ドイツが先行している。


このソフトとハードが融合した新たな市場で主導権を握る可能性が日本に残されている。そのためには、境目なく考え、新しいものを生み出す人材の育成が急務だ。日本の大学で、工学部は人気がないうえに女性も少ない。なぜか?20世紀のフレームで機構系と制御システム系を分離したまま、昔ながらの講座を継続するからだ。21世紀の息吹は一部の大学院にしか流れていない。全体はよどんだ20世紀オジジ機構のままだ。


最先端の企業と協業できる活力ある教育機関を生み出さないと、せっかくの巻き返しのチャンスを失ってしまう。セピア色の大学は、そのままアルバムの中だけにしまっておくべきだ。21世紀を展望できない教育の淘汰こそ急がれる。

受験対策だけでなく、全てに通ずる「習い事」速聴読

古くから「読み、書き、そろばん」。最近では「読み、書き、プログラミング」とか。いつの世も「読む」は全ての始まりであった。


読解力とは、物事に対する幅広い理解力や、共感する能力も含めた五感を総合した能力であると理解する者にとって。日本の現状は厳しい。OECDのPISA検査で日本の「読解力」の低下が指摘されている。


名門麻布中学でも、「説明文」「論評」の理解に問題のある生徒が増えていると国語科教諭25年の中島克治氏が指摘する。たしかに、当塾でも授業中の発言は間髪入れずに当意即妙なのだが、皆の前で発表となると急に精彩を欠く子どもがいる。試験で論理的な回答となると、より難度は上がる。


一方、新学習指導要領は20年からグラフや図を総合的に読んで考える力を養うとあるし、新大学入試は各教科とも長文の出題分を課し、文章の内容理解に加え状況を類推し、的確に判断することが問われることとなる。これでは、現状との乖離は拡大する可能性がある。


中島教諭も指摘するように、現在の中学受験が偏った物語中心なのも問題なのではないか。首都圏は、論評や社会問題も取り上げて対策されていると聞くが、麻布中学でもまだ不十分のようだ。


対策は何か? 年中・長さんからの速聴読である。「読み聞かせ」だ。耳から入る情報を頭の中で処理する。子供は自然と想像力を働かせる。読後の感想や要約伝達はより効果的な学習成果をあげるだろう。そして、高学年になると説明文や科学関連の本を速聴読し、より高度なコミュニケーション能力を高めることが望まれる。偏った中学受験で小ぶりな型枠に押しとどめないよう注意が肝心だ。人生全てが学習期間である。初戦で矮小化するのは危険だ。十分注意が必要である。