闘魂と金とアマスポーツと 科学の眼では
夏の高校野球は、秋田の農業高校の話題で沸騰した。優勝校も影が薄く気の毒だった。
「腕も折れよと投げぬく闘志」「思い込んだら試練の道を」昭和の雰囲気満載だ。
天災ともいえる異常気象の中、成長途上の才能に連投を強いる劇場的演出は?決勝戦で力尽きる結末は20世紀昭和の情景だ。アメリカでは早々に、競技の主催側からにストップが出ているはずだ。
朝日新聞社も高野連も、21世紀の頭に切り替えたらどうか?「星一徹」や「飛馬」は我々の心に残るだけで、電柱の影から心配そうに見守る「姉」も昭和の遺構であろう。
有能な逸材の可能性を犠牲にしてまで熱狂する教育的価値は無い。
また、東京オリンピックの開催期間も理解に苦しむ。世界から逸材を招いて、常軌を逸した環境で、極限に挑む必要がどこにあるのか? コストもかさむ。リスクも大きい。
なにより競技者ファーストになっていない。
全米キー局の夏期番組編成問題とからんだお金の話と聞く。もし事実なら、オリンピックも政治と金まみれとなる。ならば、世界選手権やワールドカップで十分ではないか?純粋にスポーツを謳歌できる。
20世紀的思考に違和感を感じる、異常気象関連の話題である。