日大アメフト報道に映る日本社会の影
日本大学アメフト部の反則行為が、組織ぐるみの計画的なものか疑念が渦巻いている。渦中の当該学生が、異例の記者会見を日本記者クラブでおこなった。痛々しい印象だ。
ただ、このマスコミ報道で傷害罪・共謀共同正犯の構成要件とかの基準が不用意に使われることに違和感を感じる。
教育の最高学府たる大学当局。さらには、関東学生連盟や日本アメフト協会などの自浄能力はさほど問われず、最終手段である刑事司法が前面に出る話は違和感を禁じ得ない。違法でなければ「なにをしてもかまわない」といった風潮を作る要因となる。日本の政治がそうであるように。
日本大学といった歴史ある大学が、自らの学生を指導できず、その人生すら歪めてしまう状況を放置する。学生と保護者が大学当局を信用できず自ら報道し、相談するのが唯一警察といった状況は危機的ですらある。文部科学省は、法務省の所管と思っているのか?
また、学生スポーツの競技主催団体やOBなどが介入することが出来ないのか?不思議でならない。本来、スポーツの栄光もそれへの憧れも、刑事司法を超えた崇高な姿にこそ宿るのではないか。日大の監督・コーチも顧問弁護士のガイドラインを超えない記者会見を強行した。アメフトのチャンピオンチームの指導者ではない、弁護士の言いなりの被告のような会見だった。栄光も憧れも霧散して消えていく。
一人逃げれない形で報道陣に向かった20歳の青年が、唯一無二のアメフトを去ると言う姿を、大学関係者やスポーツ競技団体の関係者が指をくわえて眺めていることだけが印象に残る。保護者がなぜここまで全面で戦わなくてはならないのか?自分の子供を守るのは親だけなのかと心細くなる。