明治維新いらいの教育改革が破綻寸前 日本の今
2020年度から始まる大学入試制度改革。
第四の産業革命を控え、「人材の質を飛躍的に高めるため、知識偏重・1点刻みの入試から解放する」。同時に、国際水準を志向する「明治以来の教育制度改革」であったはずだ。高等学校と大学教養部の改革を目指す高大接続改革とも呼ばれた。そこに「志」はあった。
高等学校以下の教育が停滞した大きな原因は、大学入試制度にあるとされた。現行制度により、高校普通科は理科系文系などと予備校化し、内実の無い空虚な機関と化してきた。小学校や中学校の進化を押しとどめていたのが高校普通科という意味不明な工程だった。
ところがである、AOや推薦入試をより進化させるための高校基礎学力テスト。一発受験の悪弊を排除すべく、年複数回開催する到達度調査のような内容であったが、この世界標準の制度移行が頓挫したとのことだ。理由が「高等学校の年間行事の邪魔になる」とのこととか。まるで「大韓民国大統領府」のような論理である。そもそも、改革を求められたとき、「大学入試が変わらないから無理だ」といって逃げてきたのは高校側ではないか。文科省の役人が、このような矮小化を勝手に進めて許されるのか?
国語の記述も、80字~120字程度に限定された。理由は採点が困難だからだと。私が受験時代、国立一期校入試では当たり前のように出題されていた。今なぜ困難なのか?
最近、58歳の時受験した国家資格試験でも、2次の論述試験は300~450字程度のものばかりであった。途中で指が動かなくなるほど一日中書きまくったものだ。
大学入試センタには「教授」の肩書を持つ人もいる。要は「やりたくないだけ」なのだ。既得権益の擁護しか理由が見当たらない。科目間の不平等というが、あるに決まっているではないか。0にはできない。時の運だ。英語の4技能もしかり。人生常に時の運だ。だから、到達度試験を年複数回実施するわけだ、それに反対して、「一発勝負の公平」だけを錦の御旗に何を目指すのか?入試センターだけが金科玉条のごとく「不平等」を謳うのは,反日の政治工作と似ている。志が低い。
かくして、教育刷新の理念は消える。永遠に停滞する日本。