なぜ大船渡高校の監督を非難する 決勝戦の指揮
大船渡高校の監督采配に反対する意見が多いと聞く。なぜダメなのか理解に苦しむ。
最速163キロ右腕の大船渡・佐々木朗希投手を控えに回して、決勝戦敗退した岩手大船渡高校監督を教育とスポーツの両方の指導者として支持したい。批判の電話が、同校に殺到していることに驚きを隠せない。なにが問題なのか?
大リーグに進出した甲子園組は、そろって故障し、腕の手術のため大切な時間を無駄にしている。大器であるがゆえに、将来を見据えるべきだし、高校野球に多様性を尊重する風土を根付かせたい。一元的な風土は21世紀にそぐわない。
そもそもスポーツの主宰者が、あまりに学習していなさすぎる。スポーツ科学がこれほどまでに進化するスポーツ界にあって、唯一興行主が理解できない、拝金主義のままだ。
理想のスケジュールが甲子園で実現できないなら、地方の球場を使用したら済むだけだ。
酷暑の日本の盛夏にオリンピック。非常識だが、金が背後にある。
夏の高校野球。 スケジュールの変更で、登板間隔も作れるはずだ。投球数より休養が大切とか。体が出来上がっていない時に、無理はさせないのが世界標準だ。
球界の逸材の将来を見据えて監督が下す采配に、外野が注文付けること自体が無責任だ。
「星飛馬と一徹」は昭和の残像だ。これで、電信柱の陰で見守る姉も喜んでいることだろう。