ロボット プログラミング 科学教育 岡山市

21世紀に生きる子供たちに伝えておくべきことは

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。

報道がサボる代わりに 私が・・・・

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阿部読売ジャイアンツ監督の家のことは、速報が出るのになぜ?


辺野古のボート事件の一方の船長、平和丸の船長の名前すら報道は隠ぺいしている。人工知能に情報を問えば以下のような報告であった。

1. 逮捕や刑事起訴などの強制処分に至っていないため

日本の報道機関は通常、海難事故や事件が発生した際、容疑者が「逮捕」されたり、警察や海上保安庁によって「刑事起訴(書類送検など)」されたりした段階で実名報道に踏み切ることが一般的です。

  • 不屈の船長(金井さん):事故で亡くなられていること、そして学校側から直接依頼を受けて謝礼を受け取っていたという明確な裏付けが取れたため、国土交通省(沖縄総合事務局)から海上運送法違反容疑で刑事告発され、実名が報道されています。

  • 平和丸の船長:海上保安庁による業務上過失致死傷罪などの捜査は続いていますが、現時点で逮捕などの身柄拘束はされておらず、任意の捜査段階です。そのため、報道機関は現段階で実名を伏せています。


2. 政府(国交省)の調査を拒否・保留しているため

行政処分や告発の前提となる政府の聞き取り調査に対し、平和丸の船長側が応じていないことも影響しています。

  • 国土交通省の発表によると、平和丸の船長は「政府(沖縄総合事務局)の任意の聞き取り調査に応じていない意向」を示しています。

  • 学校側との間で直接的な運航依頼や金銭(謝礼)のやり取りがあったかどうかの事実確認が現時点で困難であるため、国からの刑事告発の対象からも外されています。法的な違法性が公に確定(または告発)されていない段階であるため、匿名で扱われています。

一方で、この事故を巡っては「高校生1人が死亡した福島のバス事故など、他の事故の運転手は即座に実名報道されているのに、辺野古の船長が匿名なのは報道の公平性に欠けるのではないか」といった疑問や批判の声がインターネットやSNS上でも上がっており、メディアの姿勢について様々な議論を呼んでいます。


国会での同様の質問にNHKの副会長は理由を述べず、自主判断とだけ答えている。

NHKは国民をどのように思っているのか?昔の戦争に引きずり込んだ報道機関と同じような思い上がりではないことを望んでやまない。

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子供たちに近接する「平和教育」とは

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教育基本法

 第十四条 

         良識ある公民として必要な政治的教養は、教育上尊重されなければならない。
 2 法律に定める学校は、特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない。


  私は自他ともに認めるノンポリリアリストだ。「イデオロギー」というものは「脳が停止する」というのが私の69年生きた結論だ。若い時代は仕方がない、私も自民党が背負う55年体制の終焉を求めリベラル勢力の反転が日本の新機軸となると中学から問題意識を持った。

しかしながら、社会経験と世界各国との業務経験で自身の核心は無くなった。最後はマスコミに誘導された民主党政権の断末魔で過去の核心は完全に私の中で終わった。


 そもそも、安全衛生の観点からも、保護すべき子供を無責任に活動家の営業登録もない船に乗せて放置するなど論外である。教育以前の蛮行である。同志社は創始者新島襄や新島八重に申し開きができるのか、NHKの大河を見る程度でもわかる事実だ。


 理科実験教室を毎週運営したころ、授業中歌を歌いだした子供を相当激しく叱責した。保護者には危険を伴う理科実験業務の性質を説明し、個別事由に関係なく自然科学に臨む矜持として譲ることはできない旨説明をし了解を得た。医学関係の子息も多く、皆の理解を得れた。


 たまたま今日、8年通塾する中学生と修学旅行の話となった折、驚いたのは岡山の名門中学ですら、修学旅行と平和学習沖縄は併存していることを知り驚いた。同志社は身近にあると。今更語るべくもなく経済安全保障だけでも日本を取り巻く環境は厳しさを増す。ましてや、この子たちが成人する環境を考えると死んでも死にきれない。何も話さず、ただ一言「片方の目だけで生きることのないよう努めるのは君の責務だと」と説諭した。


 沖縄戦末期、旧日本海軍の司令官であった大田実海軍中将が、過酷な戦場の状況を伝えると同時に、戦闘に巻き込まれながらも軍に協力し奮闘した沖縄県民の苦難を訴え、「県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを」と打電した事実は今も涙なしには語れない。


 しかし、思考停止したイデオロギーや無責任な教育関係者にむやみに放置・教宣される子供たちを思うと胸が痛み、怒りがこみ上げる。司馬遼太郎と同じく、沖縄だけでなく各地で「なぜあのような負け方をしたのか?」「なぜ勝ち目のない総力戦に国民を道連れにしたのか?」「なぜ早期妥結ができなかったのか?」をまず問うべきだと思う。生き残った人間に配慮した、生き残り新聞(国家から土地を安価で取得し、電波許可も与えられ)が責任放棄した問題こそが「日本の真の課題」ではないのか?戦争に国民を巻き込んだのは新聞社でもある。


 昨今のマスメディアの報道は理解できない。お茶の間の主宰者がメディアではないはず。報道は事実への執着を忘れている。それとも、もともと持っていなかったのか?

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