ロボット プログラミング 科学教育 岡山市

21世紀に生きる子供たちに伝えておくべきことは

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。

高校「普通科」は無用の長物 多様性の欠如の象徴だ

全国の高等学校の普通科は7割を占めるとか。何が「普通」なのか答えれる人はいない。この多様化する21世紀の産業社会構造から観て、異様な光景に映る。画一化の象徴だ。これで「積極的な学びの姿勢」と言葉をもてあそぶ文科省の感覚が理解できなかった。「平準化」「没個性」「目的意識の希薄化」「大学の予備科」「受験準備科」とでも形容できる。それが多くの好奇心や積極性を封殺し、個性を押し殺してきた。「偏差値」と並ぶ一元的ガラパゴス日本戦後民主教育の頂点に君臨する遺構だ。ただ、1960年代までは一定の意味があった。多くの集団就職する「働き手」を量産したからだ。


やっと、政府直轄の「教育再生実行会議」が高校普通科の改革を近く提言する。あまりに遅い。第四の産業革命下、5G(高度通信規格)によるAIとITクラウドの融合は世界(宇宙空間を含む)をネットワークし、産業社会を根底から変革する。この激動期に、1960年代高度成長期の「良質な集団就職」教育のフレームが全体の70%にも増殖し、結果、内容の無い「大学」へと子供を流し込む。目的を見失った大学生たちは、テレビを賑やかす社会問題のネタに成り下がる。最近の大学生の問題行動は、個別大学の空洞化を超えた社会問題となっている。幼稚園の方がはるかに国家にとって重要な存在だ。


高等学校は、地域社会にとって貴重な資源だ。もっと多様な教育を構成し、地域産業社会とリンクし、多くの起業家や社会事業家を育て、世界と交信する母体に生まれ変わるべきだ。そこで育った社会人が、地域を離れ専門性の高い大学や先端技術大学院大学などに進学することが望まれる。欧米に並ぶ良質な大学生も生まれるというものだ。


集団就職や集団進学は、1960年代で卒業するべきだった。「現役」などと呼び「浪人」などという層を構成した貧しい文化を卒業すべきだ。日本はいまだ後進国であり、先進国の内容を確保できていない。中国・インド・マレーシアなどに抜かれる前に、文部科学省も先進国入りを模索したらどうか?補助金や助成金を配るのが仕事ではない。

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