scholarの志 ロボット プログラミング 科学教育 

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。岡山理科学館に協賛し、地域から世界に飛躍する人材を育てます。

なぜ大学を統一基準で評価するのか?

大学新テスト方針案の議論で違和感を感じることがある。
なぜ客観的な尺度を、必要以上に求めるのか?
記述式問題や英語の民間検定移行で、評価のばらつきが出ることを指摘する専門家が多い。しかし、今のセンター試験が異常なのだ。序列化の極みだし、多様性の欠如そのものだ。コストダウンのマークシート。
眞子様で話題の国際基督教大学。私の学生時代も、上智の外国語学部以上に個性を持った名門だった。独特の試験で、東大に行ける人が落ちる場合もあるとのこと。標準的なのは英語の試験だけとか。それで良いではないか。
北大の法学部と九州大学の農学部の難易度を比較出来て、なにが21世紀の日本の教育に有益なのかが分からない。
一定の水準に達したら、あとは個別の大学で独特の選抜をすれば済む話だ。
「計測できない」普通にあることだ。運不運もあるだろう。人生常にそうだ。
非認知能力や好奇心を測れない以上、どこまで行っても試験は目安にしかならない。大学の国際競争力を上げるためにも、現行の制度は否定するべきだ。
自分の好きなタイプの問題を出す大学に進めたら、本人も大学生活が充実すると思うがいかがか。大学入試を共通基準で測って、日本になんのメリットがあるのか理解に苦しむ。

×

非ログインユーザーとして返信する

あと 2000文字

※は必須項目です。