私塾の矜持 「営利目的」という名の下で
江戸時代、岡山地域の私塾は144校に上り、全国の1,505校のなかでトップシェアを誇った。これがのちに旧制第六高等学校や岡山医専の礎となったのだろう。戦後の混乱期、教科書は確定されておらず、地域独自のさまざまな教科書で小・中学生は学んだと聞く。自由闊達な教育の風土は、その後「教育委員会と文部省」統制型へと変質する。しかし、この自由な時代を経た子どもたちは、戦後高度成長期の先陣を切り、世界へと羽ばたいて、敗戦国の淵から日本経済を再生させた。
そののち、統制型教育システムと偏差値至上主義は、激変する国際環境とその競争に敗北する。日本型中央統制システムは停滞し、国外へパラダイムシフトした企業のみが90年代以降の成長を享受した。人材もまたしかりである。なぜか?自由闊達で多様性を受け入れる教育環境が激減したからではないか。省庁・金融・報道など国内主要部門は、国際間競争力を失っていった。規制改革は停滞したままだ。アベノミクスですら同様の問題を抱えている。
地方創生・規制改革・情報公開が叫ばれ、国内経済の活性化が問題になっている今。教育が自由闊達で多様性に富むことが真に求められている。特に科学教育は、国家の礎として最重要となり、STEM教育に代表されるようにOECD各国では国家戦略として既に位置づけられている。
日本は?現在の岡山は?
「営利目的の使用はお断りします」「営利目的の場合は別料金で」と公的会場が規制をかけている。国立大学も収益を求め資金確保をするこのご時世に、会費や授業料を取るから一律「営利目的」として排除する公的施設の運営や見識に愕然とする。したがって、多様な体験の機会は限定される。江戸時代や戦後の混乱期にあったように、自由闊達で、多様性を許容する教育環境はどこに求めたらよいのか?
私塾の矜持が、真に問われる時代だ。戦後日本システムはまさに硬直し、制度疲労の極にあると感じるのは私だけだろうか?