ゴーン逮捕に思う 組織に生きる者の光と影
傷ついた日産を立て直し、不正で揺れる三菱をも救済した剛腕経営者が逮捕された。
彼の手腕で2兆円を超える債務も4年で解消し、グループは世界二位の自動車メーカーとして再生した。しかし、多くの犠牲も出した。5年で50億円の報酬は高いか安いか?フランス大統領のマクロンは、国の資本が入ったルノーの報酬額としては高額だと批判。二人は不仲だったとか。
日本の経営で、昔からよく言われる話がある。優秀な人は常務どまり、それ以上は無傷の嫌われていない人がなる。日本経営の光と影だ。このグローバル経済。経営のかじ取りには多くのリスクが伴う、優秀な人間も、場合によっては「刀折れ矢尽きる」時もある。ましてや、制度疲労を起こした大企業の再生など、向こう傷を恐れては為しえない。
司法取引で、ゴーン一派を差し出した日産経営陣は目先を乗り切ったかのようだが、はたして。かねてゴーン氏はコメントしていた。「日産はコントロールしやすい」と。
ゴーン氏と互角にやりあえる取締役会があれば、透明性とコンプライアンスは維持可能だったはず。ルノーとの経営統合や技術革命の世界戦略を描くのは誰なのか不明のまま、企業の目先の保身のみが優先される現状に「こんなでいいの?」と素朴に思う。
かつて、伊勢丹メンズ館を成功させた辣腕社長が、労組をバックにした三越系の管理部門の人間に追いやられた姿とかぶる。 項羽と劉邦 永年の課題ではある。
理想は以下のようなものではあるのだが。あくまで理想だ。
剛強なるは必ず死し 仁義なるは王たり
陰陵に道を失せしは 天の亡ぼすに非ず
英雄本學ぶ 萬人の敵
何ぞ用いん屑屑として 紅粧を悲しむを
なぜ項羽は、垓下において「虞や虞や若(なんじ)を如何せん」と虞美人との別れを悲しんだのか。これを自業自得と捉えるか、人それぞれの人生観に拠るところが大きい。