「技術の日産 神戸製鋼所」どこ行った日本
ケンとメリーの「愛のスカイライン」
ブルーバードSSS
技術の日産は印象的だった。都会的で洒落ていた。1970年代。
新日鉄に続き、神戸製鋼所が日本ラグビー界を牽引し、金属材料の日の丸を体現していた。1980年代。
「ジャパンアズNO1」と欧米から恐れられ、アジアや中東の憧れとなった。日本国製造メーカーの今日は厳しい。
日産全車種出荷停止 国内4工場で無資格検査継続が発覚
神戸製鋼所 品質検査改竄は組織ぐるみで40年以上前にさかのぼる
従妹が世界に誇る金属材料研究所を有する東北大学から神戸製鋼所に進んだことを思い出す。根っからの技術者だった。
日産のコマーシャルは今でも記憶に残る。当時、汎用車種のトヨタに対し日産はカッコよかった。
日本が溶解しているような印象を受ける。
金融や行政や報道の存在は皆無だが、材料や産業機器やプラントの技術に関して、日本への信頼は世界中で感じることができた。最後の砦なのだが。
構造問題を棚上げしたバラマキ政策を喧伝する空虚な選挙戦の最中、お通夜のような出来事ではある。