学校の単元別座学授業と補習。定期テストと偏差値と内申書。この一元的教務体系が戦後営々と継続されてきた。唯一日本的特性として評価された「部活」も指導者不足と教員の時間外労働の削減のため変質しつつある。学びの多様性は失われたままだ。
インドでは、新興企業が社内大学を設立し、地方で埋もれた人材を教育し、先端技術のエンジニアに育て上げている。そのインドの企業が、日本の過疎地に拠点を築き、そこで育つ子供たちを自らの社員として自前の大学でAI技術者として育て上げる。早稲田の経営大学院の教授曰く「日本のほにゃらら大学に行くより、英語・数学・プログラミングが学べて優れている」と感嘆の声を上げた。高い授業料払って、中途半端な大学へ行くより実質的で確実である。さらに給与も支給される。ドイツでもこのような制度はある。
学校のプログラミング教育が義務化されると同時に、トヨタやグーグルが支援に乗り出す。文科省と経産省も、民間の力なしでは解決できないとやっと分かったようだ。学びの多様性を取り戻し、普通科→大学へと無批判に時間と金を浪費することへの反省が必要。
社会に出て、内なる衝動にかられ、大学や大学院の門をたたく欧米の学びは、本質的である。集団卒業から集団進学は奇形でもある。いびつな一元的教育の清算をすべき時が来た。日本は戦前の方が学びの多様性があった。それほどに今は選択の余地がない。息苦しい。それに偏差値とか共通試験とか合理化と序列化のみが横行している。
新融合やイノベーションの21世紀に、20世紀的教育システムは無用の長物だ。日本の個人別GDPも研究論文の質も、どんどん順位を下げ中堅国以下の位置になりつつある。残された時間は少ない。