scholarの志 ロボット プログラミング 科学教育 

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。岡山理科学館に協賛し、地域から世界に飛躍する人材を育てます。

原発停止中 酷暑の夏を乗り切る電力

記録的な猛暑の中でも、国は国民に電力の節約を呼び掛けていない。一番の理由は省エネだ。2010年より12%以上基礎需要は減った。同時に夏場の太陽光発電が貢献している。高値の欠点は抱えつつも供給には寄与している。東電は石油発電所2基を使わずじまいだとか。余裕の夏だ。


一昔前、原子力発電所(当時50基稼働)を止めたらエネルギーパニックになるとか評論している人は多かった。石油依存が高まり自給率も下がると。これは科学的な議論ではなかったことが証明された。科学的事実は敬遠され、政治や経済的利害が優先されていた。


しかし未だ課題も多い。日が暮れた夕時の需要が高止まりしている。地熱や風力の安価な供給が待たれる。また、地域的に不足した瞬間の他からの供給が迅速に制御される必要がある。発送電分離は待ったなしだ。


スマートシティー構想で、蓄電池の開発が進めば、地域電力の自給自足も可能となろう。同時に太陽光の価格競争力も欧米並みに近づけなくてはなるまい。全て科学技術の課題だ。最近、大志を持った日本人起業家は本拠地をアジアに求めだした。古い産業基盤が少なく、イノベーションに寛容なアジア諸都市に活路を求めている。日本社会の閉鎖性を嫌ってのことだ。


科学的事実に素直に向き合える教養こそ21世紀の「読み、書き、そろばん」である。同時に科学的な好奇心も育むべき大切な要素だ。

東大教授の英語教育論が理解できない?

英語教育・学習論の東大権威が、大学の英語での講義の実態を指摘していた。日本語での授業より内容が劣化しているとの指摘だ。「意味ないじゃん。」という論法はごもっともながら。加えて、過去の英語教育から今後の4技能育成まで全否定している。幕末以来成果はないと。


そこで、指摘するのが「文法と読解」基礎の鍛錬だと。小学校で中途半端にコミュニケーションを覚えるより、中高での「文法と読解」だと。これには違和感を禁じ得ない。


その昔、スペインで商談の後、雑誌編集者やデザイナーや商社マンらと会食をする。大きな円卓を囲んで地中海の幸を堪能する。皆、海鮮グリルを素手でつかんで食べる。一人はイタリア語で話し、相手の返事はフランス語で帰ってくる。スペインの北部はフランス訛りがキツイ。得意な言語で話すのだ。私は蚊帳の外。唯一の日本人の解説と全体の流れで理解するしかなかった。当然英語も出てくる。


イタリアの企業との契約交渉は困難を極めた。夕食の時、疲れ切って無口になる。胃が痛む。イタリア人やスイス人の仕事仲間から総攻撃のつるし上げだ。無口でいる君は我々のメンバーかと。会話は人格の披歴だと言われた。
会議中は一歩も引かない私も、タジタジだ。食事の会話の方が語学力が必要だ。議論や論争は読解力があれば十分可能だが、こればかりは苦手だった。


その時、私より会話が下手な同輩が、代わりに自分の昔話を延々と始めた。中学1-2年生並みの良く詰まる話だった。詰まるとヤジも入れやすい。やいややいやの喝さいを浴び、場は盛り上がった。彼はその後辣腕の商社マンになった。


難度の高い日本語を我が国民はどのように習得したのか?
稚拙な会話や感情の発露の蓄積では?
母親の読み聞かせや問いかけなどからだ。
国文学の大家も、子供のころは文法など考えなかったはずだ。