ロボット プログラミング 科学教育 岡山市

21世紀に生きる子供たちに伝えておくべきことは

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。

自動翻訳機元年 今後の語学教育とは?

2018年はAIによる自動翻訳の元年と言われている。様々な自動翻訳機が発売され、研究機関ではデータの蓄積のため、無料でソフトを開放するところも多い。2020年東京オリンピックには、ウェラブル端末による実用化が実現されそうだ。
一方、20年からは小学校での英語教育が必須となる。英語教育は先進国で37位という現状の打開が喫緊の課題とされている。


いったい何を優先して身に着けるべきなのか?
自国の文化や歴史を愛し、他国との違いを理解し、自問しながら語り合う能力。多様性のある社会で自由に羽ばたける能力の育成こそが優先されると米国の研究者は語る。その目的のために語学を学べば、翻訳機を超えた深い喜びがあるからだ。


人種のるつぼといった環境が、多様性への積極的な姿勢を担保する。日本社会固有の「空気を読む」「長いものに巻かれる」「忖度する」はもはや美徳とはならない。イジメの温床となるだけだ。


OECDのPISA検査で問題視される日本の教育の特性。学力到達度に比して自己肯定感が低い。受けている教育が将来役立たないと思う比率も勝る。優先される学びの在り方を探し求める必要がある。このことからも、現状を生みだす現在の大学受験制度の改革は待ったなしだと考える。公平性や平準化より優先されるべき課題があるからだ。

日大アメフト報道に映る日本社会の影

日本大学アメフト部の反則行為が、組織ぐるみの計画的なものか疑念が渦巻いている。渦中の当該学生が、異例の記者会見を日本記者クラブでおこなった。痛々しい印象だ。
ただ、このマスコミ報道で傷害罪・共謀共同正犯の構成要件とかの基準が不用意に使われることに違和感を感じる。
教育の最高学府たる大学当局。さらには、関東学生連盟や日本アメフト協会などの自浄能力はさほど問われず、最終手段である刑事司法が前面に出る話は違和感を禁じ得ない。違法でなければ「なにをしてもかまわない」といった風潮を作る要因となる。日本の政治がそうであるように。


日本大学といった歴史ある大学が、自らの学生を指導できず、その人生すら歪めてしまう状況を放置する。学生と保護者が大学当局を信用できず自ら報道し、相談するのが唯一警察といった状況は危機的ですらある。文部科学省は、法務省の所管と思っているのか?


また、学生スポーツの競技主催団体やOBなどが介入することが出来ないのか?不思議でならない。本来、スポーツの栄光もそれへの憧れも、刑事司法を超えた崇高な姿にこそ宿るのではないか。日大の監督・コーチも顧問弁護士のガイドラインを超えない記者会見を強行した。アメフトのチャンピオンチームの指導者ではない、弁護士の言いなりの被告のような会見だった。栄光も憧れも霧散して消えていく。


一人逃げれない形で報道陣に向かった20歳の青年が、唯一無二のアメフトを去ると言う姿を、大学関係者やスポーツ競技団体の関係者が指をくわえて眺めていることだけが印象に残る。保護者がなぜここまで全面で戦わなくてはならないのか?自分の子供を守るのは親だけなのかと心細くなる。