ロボット プログラミング 科学教育 岡山市

21世紀に生きる子供たちに伝えておくべきことは

公教育と明確に違った体験型学習(Active learning)を実現するのが私の願いです。未来の創り手となる子ども達に何を準備しなくてはならないのか。児童期の多様性を尊重し、Scientific literacy(科学の論理展開力)の育成を目指します。

大学新テスト「要約し」「端的に記述」が全教科に及ぶ

2020年からの大学入試共通テストの出題に関する方向性の中間発表があった。
「大学での学びの基礎となる思考力や表現力などを試す」とある。
特に国語と数学は記述が大幅に導入される。
「論理の吟味」「情報を編集し要約する」能力を重視とある。良いことだ。
論旨を構造的に把握し、端的にまとめ、分かりやすく記述する。世間が求める能力だ。
数学でも記述が求められる。理科を含めプロセス解析が前提となる。社会科も資料を読み解き多角的な分析をもとめるとある。これも世の中が求めるものだ。


当塾でプログラミング演習は、フローチャートを使う。大人と同じ土俵だ。皆一様にプロセス解析をおこなう。ここで個人差が極端に出る。名門中学必ずしも優位にあらずだ。指導していても熱が入る。個々の視点や戦略が勝敗の分かれ目だ。答えは無数にある。枝葉末節にこだわってはいけない。部分最適・全体最適と思考を拡大させる。


その熱気のある演習で、英語が苦手とあえぐ子がいる。数人が同調する。動詞の過去形や主語との連動を言い合っていた。「音読は?」と聞くと「やらない」と答える。
「どうやって日本語覚えた?」と聞くと「親との会話や絵本の読み聞かせ」と答える。


むかし旧帝大では、80字~120字程度の記述は当たり前だった。私立でも一部は60~80字の記述を要求していた。中学での英語の音読は基本だった。


70年代後半から始まった共通一次試験とは何だったのか?総括すべきと考える。
昔国立大学は3日かけて試験をした。多くの論述・記述も課した。大学も労をいとわなかったのだ。独自色も出していた。多様性がそこにあった。

優位から脱落し続ける日本 司令塔が思考停止か?

半導体・液晶パネル・有機ELに続いてリチュームイオン電池でも首位を奪われた。創世期はトップを走るも、市場が拡大した成熟期は脱落するパターンだ。
量子コンピューターでもモデルの理論値までは優位を保つが、実用化では米国・カナダに抜かれた。次の話題は、「個体電池」だ。「EV」だけではなく「FCV」にも、さらには「再生エネルギーの効率利用」や「スマートシティー構想」にも欠かせない技術だ。AIでは米国・中国にもはや届かない。自動運転もトヨタ軸の国際連合が唯一の参加者だ。


矛盾したままの原子力政策や不確定な廃炉計画。さらに核燃料の再処理の破綻など機能と思考が停止したままの通産省エネルギー政策。日本の科学技術はだいじょうぶか?
国策民営と言われる民間だよりは、時として便利ではあったが、大きな問題には不向きだ。科学技術の競争は、国家が生死をかけて国策を遂行する時代に逆戻りしつつある。敗戦後の日本のように政府は総力戦で臨むべきではないか。高度成長の端緒を切り開いた東京オリンピックは1964年。2020年が同じく再生と覚醒の年になるよう願ってやまない。


21世紀に生きる子たちに、科学技術への憧憬を育む機会と環境を創出する努力は惜しんではなるまい。これは国家だけの努力では無理だ。外国人労働者や観光客の受け入れですら地方の民間が中心となって確実に拡大・進化しているのだから。