古い公共性の高い企業や役所のリーダーは年功序列で純潔の単線路線のエリートだ。その組織は異論を受け入れる度量はなく、忖度のみの男社会となる。国際競争にもさらされず温存されてきた。しかし、今や世界がそれを許容しなくなった。
しかし、事故調査員会の提案を受けながら、国会はいまだ独自の監視機能を作れていない。遠からず立法の不作為は指弾される日が来る。なぜ異論を受け入れ大局的な判断で組織運営を担える人材が育たなくなったのか?明治の維新はあまりにも遠い。日本の近代化を支えた明治の人材は、広く欧米を学び、大局的な国益を志した。昭和の初期までは間違いなくそうだった。
この国は、戦後何を得て、何を失ったのか?
戦後と共に生きて来た者として考えざる負えない黒川氏の指摘であった。ただ一つ言えることは、国民各層に科学の教養を定着させ、科学的事実を正確に評価できる人材をより多く育てることが肝要と考える。