日本人の誇りが逝く 緒方貞子
聖心女子大時代、学びたいことがあれば臆せず東京大学教授の門をたたいた。熱心さと一途さは筋金入りだった。犬養毅元首相は曽祖父である。
そののち、カリフォルニア大学バークレー校で政治学を学び教壇に立つ。世界にその名を知らしめたのは国連高等難民弁務官(UNHCR)の10年だ。中東の紛争で引き起こされる悲劇に正面から向かい合った姿勢は世界が認めた。
湾岸戦争時のクルド人難民は、難民認定が困難だった時、UNHCRの幹部職員の反対を押し切り、イラク国内でのクルド人への支援を決断した。人道主義は鉄の信念であった。
ボスニア紛争やルワンダ虐殺の時も、ジュネーブを離れ現地で反目する各派の領袖と直談判した。アジア人での弁務官に懐疑的だった各国代表部も、一目置くようになった。
特に、アフリカなど後進国の若手官僚を見抜く目はずば抜けていたと聞く。緒方氏に抜擢され国際組織で活躍するアフリカ途上国出身者の台頭を見て、英仏の外交官が驚いたと聞く。
英国外務省が国連事務総長に推薦しようとしたとき、一番反対したのは日本外務省だったとか。なんとなくわかるような気がする。
生前、緒方氏は日本の教育に関して、多様性の欠如を指摘しておられた。一元的で幅のないシステムの問題を自らの経験から感じておられたのだろう。島国であっても一国で完結する平和などはないとも指摘されていた。
緒方姓も岡山県の備前とゆかりがある。
世界で最も尊敬された日本人、敬愛してやまない。
心からご冥福をお祈りしたい。