神戸の東須磨小学校の当事者たちに思うこと
聴くことすべてが見苦しい。稚拙で屈折している。くわえて幼い。
校長は管理能力がなく、主犯の40歳代の女性教員は校長が指名する人事でこの学校に移動になったとか。神戸方式だ。
有能な校長が前提なら、神戸方式も一理ある。しかし、無能が運営すれば凶器となる。前任も含め校長に管理者としての風格も見識もないことは一目で分かる。組織に生きた経験者なら論を待たない。
管理能力に満たない人材しかいないのなら、企業やシンクタンクから人材を募るべきだ。国際性の高い企業の人事畑にも適材は多くいよう。三顧の礼をもって迎えるべきだ。マネジメントが必要なのであって、教員免許など意味を持たない。
いじめ対策の教諭が、率先して後輩をイジメていたのだから論評も感想もない。
ただ、被害者の教諭に期待したいのは、社会人としてもっと強くなって欲しいということだ。先生である前に一人の社会人だ。
大人が一歩外に出たら多くの敵がいる。戦うことが生きることだ。民事・刑事のあらゆる手段を駆使して、加害者を告訴し反撃すべきだ。かりに市教委や上司が隠ぺいに走ったとしても、自殺を口にする前に、果敢に闘うべきだ。その姿を生徒に見せることが真の教育だと思う。成長する過程で、子供たちは現実を理解する。
当該小学校が給食のカレーを中止にしたとか。生徒があきれたそうだ。その程度の見識しかない学校運営者は、早々に別の仕事を探すべきだ。一言で適性がない。