子どもの明日は、親ほど見えないものだ
親の子供への愛は深く、永遠だ。しかし、そんな親ほど子供の明日が見えにくくなる。
私の親の世代は、戦後の高度成長とバブルの初期までだった。従って、社会保障に関する感覚も右肩上がりだ。自分の子供は、自分同等ないしはそれ以上と思っていた。
ところがである、息子の年金予定額を聞き愕然とする。公務員だった自分より少ない?
同じようなことが、国レベルや自治体レベルや企業レベルで起こってくる。AI技術研究の日本最高峰である東京大学大学院情報理工系研究科の就職先が激変した。1993年ではNTT・三菱電機・東芝だった。それが21世紀初頭からGoogleが上位に入り、今やスタートアップ企業が目白押しだ。
大学院での研究と並行してキャリアを形成出来たり、仕事の内容が明確に契約されている上に破格の年収が約束される。従来の「従業員」の領域では納得しない人材が多いということだ。しかし、社名は親には理解できない。自動運転技術の「ティアフォー」といわれても、である。
初等期教育でも同じことが言える、旧来の受験進学一本やりで将来を切り開くのは困難な時代が来た。幸い子供たちは、プログラミングなど未経験なものに積極的だ。親や教育機関が多様性を持つことが重要である。さらに、価値融合(イノベーション)に積極的な人間を育てる必要がある。