ひとりひとり こどもたちに思うこと
いささか長く生きてきた。職業人として世界と業界と対峙したと思った瞬間もあった。一方、思うに任せないのも人生。思い通りに生きれない。そんな自分が今、多くの子供たちと日常対峙する。驚くのは、彼ら彼女たちはルールに敏感だということだ。
例えば、演習型授業で座学に傾斜するとする。即座には反発しない。その後、授業を軌道修正したにも関わらず、座学への傾斜を批判する。批判しないまでも、一方通行な授業進行が無いことを要求する。次回会うとまた即座にだ。律儀とすら感じる。
自虐的な発言。わざと汚い言葉を発する子がいる。こちらの心情をえぐるように突っ込む子がいる。理由は想像できる。その子は、受けた相手の反応を息を凝らしてみている。「穏やか」だと安心する。その子はだんだん穏やかになる。信頼はその後の話。
ある教師が書いていた。混乱した学級を収めるとき、問題がある子に集中するなと。全体のバランスを維持して、問題の子に対し、クラスに順応することの合理的な「理」を示すべきだと。こどもは、大人を超えて「理」に従順だと思う。
ある日、スーパーで3歳くらいの女の子が、お菓子をねだろうとしていた。お母さんには1歳に満たない妹がすがりついていた。母は言った「お菓子はパパの担当なの」「今パパは仕事だから」といって母が言う。驚くほどあっさりとその子は納得した。
こどもの道理への感受性は優れている。大人になってねじ曲がらないよう。強くその思いを支えたい。自らが感じたように生きてもらいたい。