子どもたちに贈る世界への扉 西野采配にある未来
今回のワールドカップは当初関心がなかった。突然の監督解任は、協会の任命責任こそ問われるべきと感じていた。しかし、西野監督の指揮には、世界への執念を感じた。
女子レスリングや日大アメフトなど、時代錯誤の村社会を目の当たりにし、鬱屈したスポーツに嫌気がさしていた。サッカーにも期待はなかったのだ。多様性を無視した村の構造は、陰惨でジメジメした日本社会の影の象徴と言える。
ところが、ポーランド戦を前に、川島と共に記者会見に臨む西野監督の姿に驚いた。「猫パンチ川島」さすがの私もそう思っていた。当然交代かと。6人を代え川島をキャプテンとする指揮官の意志は揺るがないものがあった。
最後の10分以上のパス廻しも、日本サッカーの歴史を踏まえた価値転換だった。子供の心にも切実なまでの「ひたむきさ」は伝わったと思う。そこに仁王立ちする川島がいた。
親が子供に読ませたい哲学書NO,1は、仲間に正義の理念を掲げたものの現実から逃げた男の子の再生への姿と仲間との関係を描いたものだ。美しい倫理観は常に危険が付きまとう。ある意味無責任な教条主義だ。現実に直面した場合の処方が込められていない。
「不本意ながら」も世界のベスト16の地平にチームを導き、日本サッカー界の21世紀構想を実現するため、自らの信条まで捨て去る指揮官の姿にリーダーのありかたを見た。未来志向の「孤高の指揮官」である。