別れの日 惜別の思い
3月になると最終授業が続く。小学校1~2年にロボット教室に入り、理科実験や速聴読を経てプログラミング教室に通った生徒は、6~7年通ったことになる。
この塾を始めた頃の小学1年生も、今や中学2年生だ。
児島や和気や井原や津山から、遠路送迎の労を取っていただいた保護者各位にも感謝の気持ちは尽きない。よく通ってきてもらえたものだ。
終えて皆を送り出す際にも、涙声を押し隠すこととなる。
初等期の科学への教養を育むべく、体験型演習の塾を志した。
論理展開の基礎は国語の読解力。そして科学の母国語は数字。暗算やパズルで数量と立体を同時にイメージ化する。さらにその応用演習としてロボットやプログラミングや理科実験がある。実証観察の上に仮説を重ねる(試行錯誤)ことで、無意識に興味が膨らみ集中力が生まれる。
昨年理科実験のスタート時に、関心が高まらず、思わず歌を歌いだした子供がいた。間髪を入れず叱り飛ばしたことを思い出す。しかし、今やその生徒は、理学博士である講師の科学的知見に素早く反応する感性豊かな小学3年生となった。「ゲノム編集と生命倫理の問題」にも、俊座に反応する。オゾン層とCO2の変化にもだ。
サミュエルソンの論を待つまでもなく、初等期の体験演習は重要だ。高等教育を成果あるものにするためにも、自発的な興味や関心を内面に形成することが重要だからだ。
当塾で初等期に体験演習した生徒たちが、自己肯定的に自らの興味や関心を育み、科学の教養を身にまとうことを願ってやまない。
科学・技術によりパラダイムの転換が進み、就労スタイルや人生の設計図が激変する21世に、力強く実り多き人生を謳歌してもらいたい。その思いや切である。